名港中央のきまぐれブログ

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ホレンテ島のファンタジーとは

 このところきららMAXではファンタジーがブームのようで、そういった要素を取り入れた作品が増えているように思う。それは今回題材とする『ホレンテ島の魔法使い』も例外ではなく、魔法が使われる島を舞台としており、ファンタジー作品に分類されるだろう。しかし、それだけを理由にこの作品をファンタジー作品として捉えるのは違和感がある。
 
 この作品は魔法という現実に存在しないものをモチーフにしているため、ファンタジー要素が強く見えるが、こういった観光客に非日常を演出するための偶像は、ホレンテ島に限らずありふれた存在だ。どの地域にも独特な職業や産業、文化があるものだが、訪れる観光客にとってそれは非日常を感じることのできるユニークな要素に過ぎない。つまり、魔法は読者や観光客にとってはファンタジーの存在であるが、ホレンテ島に住み生活する人々にとって島の魔法は日常の一部でありファンタジーとは言えないのである。しかし、初めて島を出て東京に降り立ったこっこが「魔法か何かにでもかけられてるような」と思ったように、観光とは非日常であり、ある種のファンタジーである。即ち、この作品は不思議な世界観を描いたファンタジー作品ではなく、観光というファンタジーを描いた作品と言えるのではないだろうか。

 観光はファンタジーだが、その裏にはやはり現実がある。コロナ禍以前には「観光立国」を合言葉に、日本中がインバウンド効果を期待し観光ブームとなっていたのは記憶に新しいが、実際に観光地として成功している例は多くない。そして成功したとしても、ホレンテ島のように問題を抱えていることも多い。観光のために防風林を伐採した潮風通り(台風の影響を受けやすいのはこのことと無関係ではないだろう)のような例はどこにでもあるし、魔法使い団子のように、ただご当地のラッピングがされただけの菓子やストラップが土産物屋に並ぶ光景は現実でもよく見られるものだ。さらに作中では、日常的に用いられてきたものの風化しつつあるこれまでの魔法と、観光客の非日常を演出する要素としての魔法の挟間で揺れる島の様子が描かれている。観光のために形を変える文化というのも、また各地で見られる光景である。隠密行動などとても出来なさそうなカラフルな忍者装束、よさこいやパレードが目立って伝統行事が埋もれている秋祭り、モダンなカフェと化す町屋など…「紛い物の魔法」は、きっとあなたの住む町にもあるだろう。

 多くの観光客にとっては非日常感こそが大切であって、観光に来てまでその文化の現実を見たいと思うことはまずない。ただこういった文化の変容は、文化の破壊として批判されることも少なからずあるし、苦々しく思っている地元住民もいるだろう。しかしこの作品では、それを愛すべきものとして捉えている。いくらおかしくて、いくら残念であっても、それはその地域の人々が時代の流れに合わせて作ったものであって、また一つの文化なのである。

 ホレンテ島には、消滅が予想されているとはいえまだ実用的な魔法が残っているが、現実には既に失われた伝統文化が数多くある。しかしそれらの中には、忘れ去られることなく観光の要素として生き残っているものもまた多く存在する。最終回にあった通り、ホレンテ島の魔法は形を変えながら、ファンタジーとして残っていくだろう。そしてこれは、何もホレンテ島に限ったことではない、あらゆる地域に存在する『ファンタジー』の物語なのである。