名港中央のきまぐれブログ

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どうして私が美術科に!?河鍋蒼について

 今日は『どうして私が美術科に!?』の登場人物、河鍋蒼の誕生日である。それを祝して、今回は蒼について書いてみることにする。

 蒼は明るく活発なムードメーカー、というのはどうびじゅファンなら誰もが知るところである。一方で、紫苑が暴走した際にはツッコミに回ったり、黄奈子とレースゲームをした際には妙に冷静に指摘を入れたり、更にはキャラクター紹介では『何も考えていないわけではない(?)のでハメを外したことはない』と書かれるなど、お調子者とはまた違った一面があることが分かる。そして、感情的になったり狼狽したりすると口調が変化する(『おかーさん』→『お母さん』など)ことから、お調子者な一面は素の蒼ではないことが分かる。

 それでもお調子者を演じ、ムードメーカーに徹するのは何故なのか。それは、他人のためになりたい、或いは他人を喜ばせたいからだろう。

 喜んでもらうことが一番なので、羽目ははずさないし、時にはツッコミに回る。さらに美術をしているのも美術科に入ったのも『紫苑のため』である。しかしそれは本当だろうか?完成した絵の具を自慢しに来たのは他人に喜んでもらうためなのか?リア充ツアーは紫苑のためのものなのか?本当は蒼は何を考えているのか。


 本当の蒼の行動原理は、他人に認められたいということではないだろうか。

 (恐らく)一人っ子で、更に母親が多忙で『あたしのことちゃんと見てるの~!?』と思ってきた蒼にとって、自分が認められるということは非常に大切なことなのだろう。蒼は滅多に自分のことについて話さないが、紫苑が京都に帰った際には「京都の友達といた時の方が楽しかったんじゃないか」と考えたり、自分を表現する課題では「あたしって…何?」と発言したりと、意外と自信がないように見えるシーンも多い。そんな彼女にとって、ムードメーカーという立ち位置や美術は自分が認められるための重要な手段であり、他人のためだと考えることによって自信にしてきたのだろう。羽目を外さないのは周囲に認められない事態を防ぐためで、リア充ツアーも紫苑に認めてもらいたい故の行動と考えれば違和感はない。

 しかし紫苑は、蒼に対して劣等感を覚え嫉妬していた。紫苑のためとして美術に取り組んできたはずが、逆に紫苑を一層苦しめる結果となっていたのである。それ以降蒼は自分のために美術に取り組むようになり、紫苑に対しても自分を認めてもらう相手ではなく、良き相談相手として接するようになった。学外展では、今までと違って自分の作品で思い悩む様子も見られ、自分で自分の作品を見つめ直すようになったことが分かる。

 最終回で蒼が、珍しく語気を強めて朱花に放った、「誰かのためって そんなの自分の理想を一方的に押し付けてるのと同じだよ!」という台詞がある。どうびじゅ作中でも屈指の名言として知られているが、これは朱花に対しての台詞でありながら過去の蒼自身に対する台詞でもある。(それに続く「と 紫苑が申しておりました!」という台詞も、蒼を変えるきっかけを作った紫苑に対するものだろう。)つまり、自分を評価し認めることができるのは自分しかいない、ということを、蒼は自らの経験から伝えようとしたのではないだろうか。