名港中央のきまぐれブログ

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またぞろ。1巻 その2

 引き続き『またぞろ。』について。前回・前々回は考察中心だったため、今回は感想を中心に書こうと思う。なお、ネタバレ要素を含むため未読の方は注意して頂きたい。


 『またぞろ。』の読んでいて辛くなるシーンが一時期twitterで話題になっていた。TLでは麻里矢の登場する107ページや、殊が「しにたあい」と叫ぶ118ページという意見が多かったように思うが、自分が読んでいて最も辛くなるのは7ページである。細かく言うと、殊が学生証を取り出す際に頭を机にぶつけ前年度用の青い学生証が落ちてくるシーンである。
 前年度用の学生証は、本来ならば必要のない物だ。わざわざ残しておいて目に入って辛い気分になるくらいなら、捨ててしまっても別に問題はない。しかし殊は、この学生証を捨てられない。
 この気持ちは痛いほどよく分かる。自分も殊と同じように、不合格通知の類を捨てられずに棚にしまい込んであるからだ。もちろん残しておいたところで使い道は無い。しかしこれらを捨てると自分の過去の行いを無駄だと否定するように思えてしまう。自分が確かに目標に向かって努力したということも確かな事実であり、無駄ではなかったと思いたい。
 とはいえ、その努力が認められなかったということも未来永劫変わらない事実である。8ページには裏返され、影の落ちた青い学生証が描かれている。殊にとってこの学生証を使った1年間は思い出したくない辛い記憶だろう。努力の証であり、挫折の証でもあるからこそ、殊は青い学生証を捨てられない一方で、目につきにくい位置に置いていたのである。
 挫折することは非常に辛いことであるが、何度も経験すると回避できるようになってくるものである。殊にとっては、挫折から目を背けることが回避の方法なのだ。留年という言葉を使いたがらないのも、「留年式でもやればいい」と開き直るのも、挫折から目を背けるためである。人間がへたくそな留年生という事実は変わらないと分かっていても、目を背けないと病んで不登校になってしまう。しかしそれでも、青い学生証には回避しようのない現実が詰まっているのだ。だから見ていて辛い。

 そんな殊だが、117ページでついに回避し続けていた挫折に真正面から向き合うことを決断する。これは118ページで巴の「なんせ私らは留年生だからな」という言葉を「はい」と肯定していることからも窺える。青い学生証がまた日の光を浴びる日が来るかも知れない。殊がこうやって変化していく様を見ると、自分も現実を回避してばかりではいけないように思えてくる。しかし、次の回の殊はじかんがこわれてる状態である。そうだ、挫折したっていいじゃないか。いきなり完璧にできることなんてないのだ。できることから無理せずやればいい。そう気づかせてくれたのも『またぞろ。』だった。